無職ニートは社会の底辺か?反論します。【大手企業→無職ニート】

なんくる
こんにちは!無職ニートでどうにか収入を得ようと勉強している「なんくる」です。

無職ニートは社会の底辺か?

無職ニートになった人「無職ニートになったら、労働条件が厳しい上に搾取されてる気がする、、、しかも、周りの人から極端にマウントを取られる…。社会的に底辺なんだろうけど、納得がいかない…。」

こうした不満に寄り添います。

正直、以下で書く私自身の意見が正しいとは言えません。1つの意見として読んでみてください。

本記事の内容

  • 「無職の人間への蔑み」や、「無職の人間から善意を装って搾取する人の意見」に反論します。
  • 無職の私自身の実体験と意見を書きます。
  • 無職でも自分を肯定したいときの対策が分かります。

私自身が無職である事で卑下されたり、搾取された実経験を元に本記事を書きました。

あえて、極端な反論を書いている部分もあるので、有職者は読まないように注意してください

結論:無職ニートは社会の底辺ではない。

無職ニートだからといって、社会の底辺ではない。

無職ニートに課せられるさまざまな固定概念に対して、半ば無理やりにでも以下で反論していきます。

職歴=職能を無職ニートに押し付けるな

無職になって感じるのは、職歴=職能と考えている人が多いと言うことです。

正直あまり賢くないと思ってます。

私は、大手企業でマーケティング業務を行っていましたが、1年で退職しました。

それで、無職になりました。

しかしながら、職歴=職能と考えている人は理解できません。

職歴+学歴 = 職能ならまだわかります。

それはなぜか。

以下で、私の場合の話を共有しながら説明します。

私は、大学院を含めて6年間マーケティングを学んだ経験があります。しかし、職歴は1年です。

とすれば、「職歴は1年だから、あなたはマーケティングを1ミリもわかっていません

こういった考えが出てくるのは理解できます。が、異論があります。納得いきません…。

確かに職歴が浅い人間は、一般的な仕事をこなす速度は遅いですし、できないと言われても過言ではありません。

ただ、例えばマーケティングリサーチを行うとなった場合、入社8年目の上司よりもできました。

これは当然のことです。

こう言われると不思議に思う人が多いでしょう。

それこそが、問題なのです。

たとえばマーケティングなどの文系のように思える領域においても専門領域があり、専門的に学んでいない人が業務を苦手とする領域はたくさんあります。

そのため、6年数学やマーケティングの理論と向き合った私が、大学でマーケティングを専攻していない上司よりできることは当たり前なのです。

たとえば、アンケート調査を行う場合に、前もって調査結果の信頼性を考えたり、探索的因子分析のためにアンケートを設計するということができないマーケターは腐るほどいます。

しかし、世の中の職歴という色眼鏡では、これが見えなくなっている。

だから、職歴=職能は間違いであるし、問題なのです。

浅慮な人ほど職歴=職能と考えて、値踏みしてくるのです。

それはある種自然なことなのですが、職歴+学歴 = 職能と考える方が正しく評価できると私は思います。

また、どうせなら、

職歴+無職歴+学歴 = 職能

と考えても良いでしょう。

なんくる
ちょっと、書いていて学歴厨のようになってしまいましたが、伝えたかったことは「職歴だけで見下してくる人は浅慮なので無視してOKということです。優秀な方なら、職歴=職能とは考えません。」

無職を無料の労働力と勘違いするな

無職になった時に注意すべきなのは、「起業したい友人」と「経営者になりたいビジネスマン」です。

まず、「起業したい友人」は無償で作業を割り当ててくる、蓋を開ければ悪魔のような輩です。

起業したいから作業を手伝って欲しいといってる友人で、自分で1円でも稼げた人はいません。

実際に稼ぎ始めてからか、具体的なアイデアを持ってる人間なら協力した方が良いですが、それ以外はぶっちゃけ時間の無駄です。

社会人で「ビジネスマン、経営、起業、マネジメント、人材、資金」なんでも良いですが、簡単な経営っぽい言葉を多用しする人間も危険です。

20代、30代で地方で少し裁量を持ち出したビジネスマンは、特に危険。

自分のキャリアップのことや実績のことしか考えていない癖に、下手に「経営」や「起業」を語りたがるのも特徴です。

めちゃめちゃ偏見なのですが、こういう人ほど人件費をカットしたり、部下の仕事量を多くして事業を成長させようとします。

自分が楽する事を覚えて、それを「経営、マネジメント」と勘違いするのです。

こういう人と手を組んでも百害あって一理ないです。

何よりも、従業員にいかに還元するか、従業員の生活をいかに支えるかという視点を持っていない時点で経営者の器ではない。

以上は、あくまでビジネス上での話で、こうした「友人」や「ビジネスマン」のビジネス外での人格まで悪いわけではない事も多いのが難しいところです。

しかたがないから、手伝ってあげようと思い手伝ってあげても、後から梯子を外されることが多いです。

なんくる
私が馬鹿なだけの可能性は高いですが、無職の人も自分の時間は大切にした方が良いです。また、最速でお金に繋がることを優先するという視点も重要です。

日本の無職は少数派なので意見が弱いだけ

日本の無職の人は、叩かれやすい。

それはなぜか。

上の図を見て貰えば分かると思うが、日本は世界各国と比較して失業率が非常に低い

つまり、無職の人が非常に少ない。

こんな状況下で、無職の人が自分を正当化するような発言をしようものならば、すぐに有職者の中の誰かが反論してくるだろう。

多勢に無勢だ。

無職のあなたの意見が一般化し、一般的に正しいと思われる可能性は低いだろう。

しかし、それはあなたの意見が間違っていることは意味しない。

理解できる人の母数が少ないだけで、正しいことかもしれない。

なんくる
もちろん、私のように適当なことを言って、ただ叩かれるているだけの場合もあると思います。

「無職の人は働く意欲がない」は間違い

無職の人は働く意欲が低いは、本当だろうか?

確かに、無職の人の多くは働く意欲がないかもしれない。

直感的に、「無職の人は働く意欲がない」という意見は正しいように感じる。

しかしながら、これは結果論の押し付けだと私は感じます。

働く意欲がないのではなく、働く意欲が湧く仕事がない場合も往々にしてある。

よく無職の人の意見であるのは、「労働条件が非常に悪いから働きたくない」というもの。

そりゃそうだ。至ってまともな思考。

無職になったからといって、労働条件を不当に悪くする風潮が問題」なのであって、「無職の人の性格や心理状況と、労働力を一概に紐づける」のはおかしい。

しかし、働いていて安全圏にいながら、こういう事を言う奴がいる。

甘えんな、働け。それがお前の市場価値なんだよ労働条件とか文句言える立場か?」と。

そうかもしれない。文句言えないかもしれない…。」と、これだけ強い言葉を浴びせられたら、あなたは思ってしまうかもしれない。

それでも、「労働条件が非常に悪いから働きたくない」は私は正しい思考だと思う。

そして、この思考を経て働かないことは、元から働く意欲がないことと同義ではない…。

以下では、私の経験談を共有しましょう。

例えば、こう言われて働きたい人はいるだろうか。

月14万円、君に1つの事業の立ち上げから実行までを2年間やって欲しい。ちなみに月14万円は月収ではなく時給、時給は1000円、企業のマーケティング戦略を考えて”実行”してほしい。

これはとある企業のマネージャーに言われた言葉。

お前は馬鹿か?、こいつ、頭おか(ry」という言葉が瞬時に脳裏を駆け巡った。

ちなみに、これを言われる3ヶ月前に提示されていた条件は、「月25万でマーケティングの企画から実行まで週3で良いので働いて欲しい。その代わり、事業を始める前に企画書を書いて補助金を取得して欲しい。」だった。

これは口約束なので契約書の1つも書かせていない私も悪いのだが、私は事前に3ヶ月ほど市場リサーチや企業の実行能力のヒアリングなどを行いながら企画書を書いた。

で、書類を完成させて提出した。

後日言われたのが、「ごめん、25万じゃなくて14万になっちゃった。でも、14万あれば生活はできるでしょ?

そして、「月14万円、君に1つの事業の立ち上げから実行までを2年間やって欲しい。ちなみに月14万円は月収ではなく時給、時給は1000円、企業のマーケティング戦略を考えて”実行”してほしい。」だ。

先に仕事をさせて時間を割かせておいて、企業活動に巻き込み、無職の人間が断りづらい状況下になった瞬間にコレだ。

甘えんな、無職なんだから、きちんと仕事ができるって保証も信頼もないだろ。だから、君を取るリスク分減額しといた。

おそらく、法律的な観点から言っても企業側に非があるのは明白。

それを受け入れる必要は全くない。

ここで自責せずにしっかりと他責しておくと、「法令遵守しない企業が悪いのであって、無職の私が悪いのではない。

私が働きたくないのではなく、働いた分の報酬が得られない労働条件が悪い。

なんくる
労働条件が不当だったら、周りがなんと言おうが働かなくて良いです。働く意欲さえあれば。

私はクズな経営者にも社員にもなるつもりはない。

無職という言葉

無職は、社会の枠組みにおいて有職者との線引きをするためにある言葉だ。

別に有職者の下に無職者がいるわけではない。

ましてや、無職者が社会の外側にいる無職ニートであるならば、なおさら有職者との比較をしてはいけない。

比較対象にならないから。

すぐ比較したがる人は、無職が社会の外側にいるからこそ、できる仕事があると知ろう。

正直、非社会的行動はどうかと思うが、非企業的行動を行う無職は問題ないだろう。

「私がブログを書く」という行為は、社会的な行動であり、非企業的な行動だ。

結果、誰かが読んでくれて誰かのためになっている、、、かもしれない。

しかし、現状このブログは企業になんらかの利益をもたらすものではない。

無職ニートのゲーマーも、対戦相手になることで社会的な価値を生み出しており、非企業的な活動をしていると言えるだろう。

無職であろうがなかろうが、非企業的な活動だからこそ、なんらかの社会的な価値を生み出せる場合もあるのである。

それは卑下されるものではない。

無職という言葉を差別用語に使うのは、あまりに思慮が足りていない。

なんくる

おわりに

以前に他の記事で、無職になって田舎移住するならSNSをやろうみたいなことを言いました。

その時は、SNSは地域の方と交流を持つ、人脈を作る、仕事を紹介してもらうという目的での使用をお勧めしていました。

ただ、無職になって人との関わりがなくなり、自分の意見にも自信がなくなってきたら、Twitterのアカウントを適当に作って呟いてみるのもおすすめです。

上の画像は、私がこのブログ用のTwitterアカウントを作成してすぐに呟いたツイートです。

誰もフォロワーがいない状況でしたが、あなたの意見に意味があれば、共感を示してLikeをくれる人はたくさんいます。